拾穂文庫第三分室撮影地案内

福岡県




北九州市門司区


門司は古くから九州と本州を結ぶ交通の要衝であったが、近代に入ると、朝鮮・満洲へ開かれた「帝国日本」の玄関口となった。関門トンネルの開通や帝国の解体、第二次世界大戦後の航空機網の発達などにより、門司港駅周辺は長らく衰微していたが、近代建築の持つ(観光的な)価値が再発見され、1990年代から「門司港レトロ」として整備されるようになった。レトロブームの火付け役の一つと言われる。

門司港駅 (旧 門司駅)

【拾穂文庫符号】Mo_Ek**
【所在地】北九州市門司区西海岸1丁目
【竣工】1914(大正3)年 【指定】国重要文化財

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ネオルネッサンス様式と呼ばれる、左右対称のデザインを持つ木造の駅舎。今でこそ盲腸線の終着駅になっているが、かつては九州の玄関口であり、ターミナル駅らしい広いホームを持っている。九州に現存する最古の木造駅舎であり、戦前から使用されている手水鉢や貴賓室などが残されている。

旧 三井倶楽部

【拾穂文庫符号】Mo_Mc**
【所在地】北九州市門司区港町(
Mapion
【竣工】1921(大正10)年 【指定】国重要文化財

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三井物産の社交クラブとして建築された。アインシュタイン夫妻が来日した時に宿泊している。のち、所有が国鉄に移り、門鉄会館と呼ばれた。もともとは離れた場所に建っていたが、1990年に現在地に移築された。

旧 大阪商船門司支店

【拾穂文庫符号】Mo_Os**
【所在地】北九州市門司区港町(
Mapion
【竣工】1917(大正6)年 【登録】国登録有形文化財

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タイル張りの建築で塔屋が配置される。もとは大陸航路の待合室として利用された1階部分は多目的ホールになっている。また、2階部分は わたせせいぞう(小倉育ち)のギャラリーになっている。

旧 門司税関

【拾穂文庫符号】Mo_Mz**
【所在地】北九州市門司区港町(
Mapion
【設計】妻木頼黄・咲寿栄一 【竣工】1912(明治45)年

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船溜まりの入口に面するレンガ建築で、昭和初期まで税関として使用されていた。1936年に民間に払い下げられ倉庫として利用され、1945年には門司大空襲で屋根が焼け落ちるなどの災厄を蒙った。1990年北九州市の所有となり、「門司港レトロ」の一環として復元改修が行われた。現在は喫茶店やギャラリーとして用いられている。

北九州市立国際友好記念図書館

【拾穂文庫符号】Mo_Dl**
【所在地】北九州市門司区東港町(
Mapion
【竣工】1994年
【オリジナル竣工】1902(明治35)年

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この建物は、中国・大連にある建物の複製。オリジナルの建物は帝政ロシアがに東清鉄道汽船会社の事務所として1902年に建築した。その後日本人の所有に移り、1907年に大連倶楽部、1926年に日本橋図書館となったという経歴を持つ。

北九州市と大連市が友好都市協定を締結して15周年を迎える記念に複製建築が決定された。1階はレストランとなっている。図書館としての規模は大きくないが、中国・韓国をはじめとするアジア関係書籍や、旧満洲居留者の同窓会などの資料が置かれている。

なお、大連にあるオリジナルの建物のほうは戦後は集合住宅となっていたが、現在は「ロシア風通り」と言われる観光再開発(レトロ?エキゾチック?)で整備されて美術館になっているらしい。

九州鉄道記念館 (旧 九州鉄道会社本社)

【拾穂文庫符号】Mo_9t**
【所在地】北九州市門司区清滝2丁目(
Mapion
【竣工】1891(明治24)年
【サイト】九州鉄道記念館

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九州最初の鉄道会社である九州鉄道(1888年創立)が、本社として使った建物。九州鉄道は1907年に鉄道国有法により国有化された。「鉄道省門司鉄道局」「国鉄門司鉄道管理局」など名称や制度は変遷するものの、この建物は引き続き九州の鉄道の運営・管理にあたる部局の事務所として用いられた。

2003年「九州鉄道記念館」としてオープン。鉄道車両の屋外展示をはじめ、鉄道関連の展示が行われているそうだ。私の行ったのは開館前で、付近をいろいろと工事していた。

北九州市門司麦酒煉瓦館 (旧 帝国麦酒門司工場)

【拾穂文庫符号】Mo_Br**
【所在地】北九州市門司区大里本町3丁目(
Mapion
【サイト】北九州市門司麦酒煉瓦館

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門司駅の近くにあるビール工場建築。赤レンガの醸造棟(現・赤煉瓦物産館)と、事務棟(現・北九州市門司麦酒煉瓦館)からなる。「サクラビール」ブランドの帝国麦酒の門司工場として建設された。1943年櫻麦酒(1939年、帝国麦酒から社名変更)は大日本麦酒に合併されるが、戦後の1949年に大日本麦酒が分割されると日本麦酒株式会社に属した。1964年、日本麦酒はサッポロビールに商号を変更、「サッポロビール九州工場」になった。

私が出かけたときはまだ使い道が決まっていなかったらしく、土地改良事務所かなにかの看板がかかっていた。現在はビールの醸造・ラベルや広告に関する展示やビールの販売を行う観光施設になっている。

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